「信用貨幣論」と「商品貨幣論」
昔読んだ本、奇跡の経済教室から。
「信用貨幣論」:貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた、特殊な負債。
「商品貨幣論」:貨幣の価値は、貴金属のような有価物に裏付けられている。
かつての金本位制は「商品貨幣論」に基づいた制度であり、仮想通貨も根底にある貨幣論は「商品貨幣論」だといえる。
しかし、現代の貨幣は、貴金属などの有価物との交換を保証されていない「府高官通貨」であるが、「お金」として広く使われている。
「信用貨幣論」を、「ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤島」という架空の事例をイングランド銀行がわかりやすく解説している。
「ロビンソン・クルーソーが春に野イチゴを収穫してフライデーに渡す。その代わり、フライデーは秋に取った魚をロビンソン・クルーソーに渡すことを約束する。
この場合、春の時点では、ロビンソン・クルーソーにはフライデーに対する信用が生じ、フライデーにはロビンソン・クルーソーに対する負債が生じている。
そして秋になって、フライデーがロビンソン・クルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの負債は消滅する。
このように取引は、信用と負債の関係で理解できる。
物々交換の場合は、取引が同時に行われるため、信用と負債は発生しないが、今回のように野イチゴと魚の取引が同時に行われるのではなく、春と秋という異なる時点で行われるため、信用と負債の関係になる。
この取引の際に、フライデーがロビンソン・クルーソーに対して、秋に魚を渡すという「借用書」を渡していたとする。
また、登場人物を増やして、ロビンソン・クルーソーとフライデー以外に、サンデーがいたとし、干し肉を持っていたとする。
ロビンソン・クルーソーがフライデーに対する「借用書」を渡して、干し肉を手に入れたとする。
そうすると、フライデーは秋に魚を渡すという債務を、サンデーに対して負ったことになる。
この場合、フライデーの秋に魚を渡すという債務をロビンソン・クルーソー以外の第3者にも譲渡可能なものになっている。
つまり、この3人の間では、フライデーの債務の存在を示す「借用書」が貨幣となっている。
これが、貨幣とは負債の一形式であるという、「信用貨幣論」の意味。
実際の世界は3人だけの世界とは違い、財やサービスの取引は無数な主体で行われるため、信用と負債の関係も無数に存在することになる。
そうなると、3人の間で使われていた「借用書」だけで、信用と負債の関係を解消することは、複雑な経済では到底不可能。
そこで、ある取引で定義された負債と、別の取引で定義された負債を相互に比較し、決済できるようにするため、負債の大きさを計測する共通の表示単位が必要となる。
この共通の負債の表示単位が、円やドルといったものであり、貨幣とは負債の一形式である、という信用貨幣論のポイントとなる。